2012年06月17日
ドリアン・グレイ
美青年のドリアンは、ロンドン社交界で
華麗なるデビューをする。ある日、
一流画家のバジルに肖像を描いてもらう。
「小説「ドリアン・グレイの肖像」は、これまでに
1945年と1970年の2回映画化されている。」
オスカー・ワイルドの小説
『ドリアン・グレイの肖像』を映像化
美ぼうの青年であるドリアンは
悪徳を重ねれば重ねるほど
その分だけ肖像画が醜くなっていく
幻想的な怪奇物語
原作のプロットはそのままだが
細かい点において、違いがいくつかあり
その点でわかりやすく、単純化されている
純粋無垢な存在である主人公が
じょじょに悪に染まっていく物語は
貴族の社交界という華やかさと
魂の堕落が、斜陽のように時代を駆け巡っていく
ドリアンが自らの内なる欲求に
すなおに応じるようになるのが
絵の秘密に気づいてからとなっているが
その直前に、婚約者の死が絡んでいるのも
弱り目に祟り目といえなくもない
いつ悪魔に、魂を売り渡したのか?という
疑問がわいてくるが
彼自身の本性が、元からそうなのではないかという
そんな感じがする
画家のバジルは、ドリアンの自画像を生涯の傑作とし
生き写しとさえ言う。
ともなれば、彼の絵は始めからドリアンの本性を
描いていたともいえる
最後の恋人である、ヘンリーの娘エミリーに
自らの秘密を白状しようと思うが、
夢の中では、それを恐れ彼女を殺害しようとする
ジキルとハイドのように
二面性の性格が彼には存在する
ゆえに、ラストシーンでは、彼女の助けを
ことわり、今までのツケを払うことを選択する
主人公を惑わす快楽主義のヘンリーは
その若さと美貌を評価していたドリアンの
最後の姿に、哀れを抱くのだろうが
ヘンリーの教えに従わず
バジルを殺害してからは、罪の意識に苦しめられ
耐えられるずに苦しみだすドリアンは
善人になることを最後に選んだのだろう
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1945年と1970年の2回映画化されている。」
オスカー・ワイルドの小説
『ドリアン・グレイの肖像』を映像化
美ぼうの青年であるドリアンは
悪徳を重ねれば重ねるほど
その分だけ肖像画が醜くなっていく
幻想的な怪奇物語
原作のプロットはそのままだが
細かい点において、違いがいくつかあり
その点でわかりやすく、単純化されている
純粋無垢な存在である主人公が
じょじょに悪に染まっていく物語は
貴族の社交界という華やかさと
魂の堕落が、斜陽のように時代を駆け巡っていく
ドリアンが自らの内なる欲求に
すなおに応じるようになるのが
絵の秘密に気づいてからとなっているが
その直前に、婚約者の死が絡んでいるのも
弱り目に祟り目といえなくもない
いつ悪魔に、魂を売り渡したのか?という
疑問がわいてくるが
彼自身の本性が、元からそうなのではないかという
そんな感じがする
画家のバジルは、ドリアンの自画像を生涯の傑作とし
生き写しとさえ言う。
ともなれば、彼の絵は始めからドリアンの本性を
描いていたともいえる
最後の恋人である、ヘンリーの娘エミリーに
自らの秘密を白状しようと思うが、
夢の中では、それを恐れ彼女を殺害しようとする
ジキルとハイドのように
二面性の性格が彼には存在する
ゆえに、ラストシーンでは、彼女の助けを
ことわり、今までのツケを払うことを選択する
主人公を惑わす快楽主義のヘンリーは
その若さと美貌を評価していたドリアンの
最後の姿に、哀れを抱くのだろうが
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Posted by DJポチ at 21:48│Comments(0)
│洋映画
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